G3868 請う、言い訳して断る

「一緒に依頼する」「人に近づきお願いする。」「お願いによって獲得する」「請う」「ねだる」「嘆願する」

 基本的には、お願いすることですが、通常は、自分の考えに反したことに対して、それを止めるお願いをすることです。自分の考えに合っているならば、お願いする必要はないからです。

 「パラ」がついていますので、その人の近くでお願いすることが意味されていて、突き放した態度ではないのです。丁重に断る場合などに使われます。

マルコ

15:6 ところで、ピラトは祭りのたびに、人々の願う囚人一人を釈放していた。

「願う」

ルカ

14:18 ところが、みな同じように断り始めた。最初の人はこう言った。『畑を買ったので、見に行かなければなりません。どうか、ご容赦ください。』

「断り」

「どうか、ご容赦ください。」→「あなたが私に断られるままにしてくださるように熱心に願います。」

14:19 別の人はこう言った。『五くびきの牛を買ったので、それを試しに行くところです。どうか、ご容赦ください。』

「どうか、ご容赦ください。」→「あなたが私に断られるままにしてくださるように熱心に願います。」

使徒

25:11 もし私が悪いことをし、死に値する何かをしたのなら、私は死を免れようとは思いません。しかし、この人たちが訴えていることに何の根拠もないとすれば、だれも私を彼らに引き渡すことはできません。私はカエサルに上訴します。」

「免れる」→お断りする。死ぬかどうかは、神の主権です。ですから、死ぬ計画を断ることぐらいしかできません。

テモテ第一

4:7 俗悪で愚にもつかない作り話を避けなさい。むしろ、敬虔のために自分自身を鍛錬しなさい。

「避けなさい」→「断りなさい。」自分が避けていれば良いということでなく、それをしないようにお願いし断るのです。

テモテ第一

5:11 若いやもめの登録は断りなさい。彼女たちは、キリストに背いて情欲にかられると、結婚したがり、

「断りなさい」

テモテ第二

2:23 愚かで無知な議論は、それが争いのもとであることを知っているのですから、避けなさい。

「避けなさい」→「断りなさい。」自分が避けていれば良いということでなく、それをしないようにお願いし断るのです。

テトス

3:9 一方、愚かな議論、系図、争い、律法についての論争は避けなさい。それらは無益で、むなしいものです。

3:10 分派を作る者は、一、二度訓戒した後、除名しなさい。

3:11 あなたも知っているとおり、このような人はゆがんでいて、自分で悪いと知りながら罪を犯しているのです。

「分派を作る者」は、九節の愚かな議論などをする人を受けてのことで、自分の意見の主張によって分派を作る人のことです。その意見を主張する人と、その意見に賛同する人を含みます。

 その意見は、無益で空しいものです。価値がないのです。

 自分の意見の主張によって分派を起こすような人に対しては、一二度訓戒するように命じられています。それでも聞かないで、自説を主張する人に対しては、「除名」しなさいと命じられています。

 しかし、この「除名する」と訳される動詞は、原語の意味からは、かけ離れています。むしろ、「丁重に語るのを断る」ことです。自説を語るのをやめてくださいとお願いすることです。

ヘブル

12:19 ラッパの響き、ことばのとどろきではありません。そのことばのとどろきを聞いた者たちは、それ以上一言も自分たちに語らないでくださいと懇願しました。

語らないでくださいと「懇願しました。」

ヘブル

12:25 あなたがたは、語っておられる方を拒まないように気をつけなさい。地上において、警告を与える方を拒んだ彼らが処罰を免れなかったとすれば、まして、天から警告を与える方に私たちが背を向けるなら、なおのこと処罰を免れられません。

「拒む」→神の主権に対しては、拒むというような強い態度ではなく、断るという柔らかい表現が使われています。それは、信者の神に対する態度であるからです。これは、十九節のことと同じです。